「あいさつは終わりだ」
加速する情熱、個性豊かな楽曲群が光り輝く欠片となり散らばり始めた
1stアルバム『フレイズ』は2001年9月の特異的な状況の中、突然変異的に生まれた「フレイズ」という曲の引力にいくつかの楽曲が集まってできた、いわばコンセプトアルバムに近いものであった。ある意味、エーテルスケッチの持つ美意識というか、世界観の理想郷がそこでできたのだと思う。それは例えるなら美しいガラスの球体のようなものかもしれない。
さて、2ndアルバムである。
新たな作品をどういうものにするか、2人で話し合ったとき、僕達の選択肢の中には『フレイズ』と同様に、あるいはそれ以上のガラス玉を構築するということもありえたはずである。しかし、僕達の興味はむしろそのガラス玉を壊すことにあった。ガラス玉をハンマーで思いきり砕いて、飛び散る欠片のひとつひとつが楽曲として輝くような勢いのあるCDにしよう。そんな想いから『放射する欠片』というタイトルはつけられた。このアルバムに統一感というものはほとんど見受けられず、それぞれの楽曲<欠片>がわがままにその個性を発揮している。しかし、どの欠片をつかんでも、それはエーテルスケッチそのものだと言いきれる自信作である。いや、自信作だった。
このアルバムが発売された当時のことを僕は今も鮮明に思い出すことができる。それは必ずしもこのアルバムが好意的に受け入れられなかったからだ。「どうした!?エーテルスケッチ!!」そう面と向かって言われた。原因は分かりすぎるくらい分かっていた。
1stとの徹底的な差別化。
全体的世界観の構築から、徹底した楽曲主義への変貌はアルバムの全体像を掴みにくくしリスナーを困惑させたのだった。
しかし否定的な評価は長くは続かなかった。幸いなことにリスナーの多くがこの『放射する欠片』の趣旨を理解してくれた。「早撃ちジャック」や「カフェ・ア・ミラージュで」といった一風変わった楽曲には一部の熱烈なファンがいたし「プレイス」は不動の人気を得るに至った。
この作品を通じて得た「なんでもできるんだ」という自信はのちのエーテルスケッチの活動に完全に根付いている。だからこそ2ndにしてこの作品はターニングポイントであり、ターニングポイントであったからこそ残せた奇跡的なバランスの傑作である。
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